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「明日、お弁当を作ってくるよ!」
「却下」
「却下ね」

即行で却下した。



お弁当を作ろう side 祐一

written by 剛久




「ふたりとも、酷いよ〜」
「だって…なあ、香里」

前に、香里から聞いたことがあった。

「そうよ。 名雪がお弁当作ってきた日、ほとんど遅刻なのよ? わかってる?」
「でも、遅刻じゃない日もちゃんとあったよ」
「ええ。 秋子さんに作ってもらったときね」

つまりは、名雪が作った日は全部遅刻、というわけだ。

「弁当作るために遅刻するわけにもいかないだろ。 諦めるんだな」
「でも、作りたいんだよ〜」

しつこく食い下がってくる。

「駄目だ。 どうせ名雪を起こそうとして俺まで遅刻する羽目になるんだから」

できれば、2人揃って遅刻という事態は避けたかった。
色々と体裁が悪い。

「大丈夫だよ。 今度こそはきっと起きれるよ」
「だから、根拠の無い断言はやめろって」
「でも、きっと大丈夫だよ」
「だから、根拠の無い断言は…」
「はいはい、ループしないの。
…で、名雪。 どうしてお弁当作る、なんて言い出したのよ?」

ループはうまく香里が止めてくれた。

「うん、実はね…」

名雪が香里に耳打ちする。
…何か、俺に聞かれたくない理由でもあるのだろうか。
あるんだろうな、きっと。
まあ、名雪のことだから別に悪いことじゃないだろうけど。

「おーい、ふたりで何話してんだよ」
「ううん、ちょっとね」

やっぱり教えてはくれないらしい。
…まあ、別にいいけど。

「…とにかく、弁当の話は無」
「いいんじゃない? 別に」

途中で遮られる。
って、香里?

「…さっきと意見変わってないか?」
「気が変わったのよ。 それに、あなたたちが遅刻しようと、あたしには関係無いもの」
「いや、だからってな…」

やっぱりさっきの内緒話が関係あるのだろうか。
だが、俺には賛成する理由が無い。

「ね、祐一、香里も賛成してくれたし、ねっ」
「でも、遅刻が…」

言いかけて、止めた。
見ると、名雪の目が少し潤んでいたからだ。

「ねぇ、祐一、おねがい…」

その潤んだ瞳で、俺を見上げてくる。
不覚にも、ちょっとドキッとした。

「………わかったよ」

折れるしかなかった。
この瞳に見つめられていては…。

「ホント、祐一っ? うれしいよー」

なにを思ったか、名雪は急に抱きついてきた。

「うわっ、バカ、やめろって!」

…ここ、教室なんだけど。
しかも、生徒たくさんいるし。

「…お弁当作らなくても十分じゃない」

香里が、何か呟いていた。



























夜。
俺は、居間でテレビを見ていた。
時刻は8時少し前。
いわゆるゴールデンタイムという時間なので、そこそこ面白い番組もやっていた。




見ていた番組にスタッフロールが流れる。
ちょうど切りのいいところだったので、なにか物足りなくなっていた俺は飲み物を調達しに台所へ向かった。

「おい、名雪ー。 なんか飲みも」
「わっ、祐一、こっちに来たらダメだよっ」

…いきなり拒絶された。

「な、なんだよ…あ、明日の下ごしらえか」

今日、学校で弁当を作ると張り切っていた名雪の姿を思い出す。

「そうだよ。 だから、祐一はこっちに来たらダメ」
「別に隠さなくてもいいだろう。 どうせ明日になったら嫌でも見るんだし」
「それでも、ダメなものはダメだよっ。 ほら、あっちにいってて」

…そういうものかな。
とにかく、当初の目的を果たさねば。

「わかったよ。 じゃあ、なんか飲み物――コーヒーでいいや。 持ってきてくれ」
「うん、了解だよ」

本当はジュースか何かにしようかと思っていた。
が、名雪の様子を見るとすでに少し眠そうにしていたので、カフェインでも与えてもう少し頑張ってもらおうと考えたからだ。
…それで朝早く起きれるのかはわからないが。




その後、しばらくして名雪は部屋に戻っていった。
この時間なら、明日はちゃんと起きてくれるかもしれない。
…と思ったが、たしか弁当って朝に作るはずだ。
つまり、明日はいつもより早く起きなければいけない。
…大丈夫かな、明日。
名雪がちゃんと起きてくれることを祈りつつ、俺も部屋に戻ることにした。






















ジリリリリ…ッ!
…。
ジリリリリ…ッ!
……。
ジリリリリ…ッ!
………。
ジリリリリ…ッ!

「…うるさい…」

比較的朝に強い俺でも、起きた直後は頭がボーっとする。
そんな状態でこの音は地獄だった。

「おかしいな…。 名雪の目覚ましより遅く起きるなんて…」

この目覚ましの大合唱に耐えられなくなってから、俺はこの音が聞こえる10分前に起きるようにしている。
それが、今日は起きれなかったようだ。

「うーん…。 目覚まし、鳴らなかったかな…」

名雪の声が入っている目覚ましを手に取る。

「…まだ6時前じゃないか…」

この目覚ましが鳴らないはずだ。
しかし、こんな時間にこれだけの音を鳴らすとは…。
名雪、恐るべし。
近所迷惑とかは考えたことが無いのだろうか。

「でも、なんでこんな時間に…?」

…弁当か。
思い出した。
弁当作るために、早くに目覚ましセットしたんだな…。

ジリリリリ…ッ!

まだ目覚ましは鳴り続けている。
…ま、こんな早くに起きれるわけ無いよな…。
ため息を1つつくと、俺はベットから這い出た。
さあ、いざ戦場へ。


「名雪、入るぞ」

まだ寝ていることを半ば確信しているのだが、念のため声をかける。
当然目覚ましの音にかき消されてしまったが。
ドアを開け、名雪の部屋に入る。
案の定、名雪はぐっすりと眠っていた。

「…というか、これは凄いな…」

前に見たときは机の上や棚の上に置いてあった目覚ましが、全て名雪の側に集合していた。
気のせいか、けろぴーが青ざめて見えるほどだ。
耳元でこの大音量…絶対耳おかしくするな。
とにかく、この目覚ましを止めねば。
まずはそれからだ。



「ふう、これで全部か…」

一体何個持ってるんだ、こいつは。
さっきとは打って変わって、恐ろしいほどの静寂。
…耳がおかしくなって、何も聞こえなくなっているからか。

なんか、自信が無くなってきた。
この状態で安眠していられる名雪を、誰が起こすことができようか。
とはいえ、ここまで来てしまったら、起こすしかないだろう。
問題は、どうやって起こすかだが…。
必死にその方法を考える。

…とりあえず、ゆすってみるか。



「おい名雪。これはなんだ?」

俺の手には、一枚の写真が。

「うにゅ…。 って、わ、それはっ!」
「ふっふっふ…。 これはどういうことかな、名雪君」
「ど、どうして祐一がそれを?!」
「そんなことはどうだっていいだろう。
さて、ばらされたくなかったら、素直に俺の言うことを聞いてもらおうか…」
「…う〜、祐一、最低だよ〜…」



…それは字が違う。
そもそも、俺はそんな弱みなんて握っていない。
しかもなんか悪役っぽくなってるし。
…いかんいかん、まじめに考えないと。
まあ名雪のことだから、揺すったくらいじゃ地震だおーとか言って
マグニチュード測定したりするだけだろう。

そうだな…鼻と口を塞ぐってのはどうだろうか。
…名雪の場合、そのまま気付かずに逝ってしまうかもしれない。
却下だ。
うーん、なかなかいい方法が無いな…。
と、俺の脳内にあの台詞がフェードバックする。


『…甘くないのもありますよ?』


…よし。
音攻撃は効果が無いかもしれないが、やってみる価値はある。
さっそく実行に移る。


「名雪ー、ジャムだぞー」
「…くー」
「秋子さんお手製の、おいしいジャムだぞー」
「…くー」

…反応が無いが、さらに続ける。

「名雪、好きだよな。 あのジャム」
「…くー」
「秋子さんお手製の、謎ぢゃむ」
「…うにゅぅ…」

…反応有り。
よし。

「あんな独創的なぢゃむ、他にはないぞ。 あんなレアなぢゃむが食べれるとは、名雪も幸せだなー」
「…うーん、じゃむぅ…」
「ほら、謎ぢゃむだぞー。 早く起きて謎ぢゃむ食うぞー」

これ、秋子さんに聞かれてたらどうしようか。
いや、今は前に進むしかない。

「ほれ謎ぢゃむ。 やれ謎ぢゃむ。 名雪の主食は謎ぢゃむ」

なんだかわからないテンポで、なんだかわからないことを繰り返す。

「…ぅん…めて…」

もう一息だ。

「謎ぢゃむ、謎ぢゃむ、うー謎ぢゃむ。 まったく謎ぢゃむだ。 これで名雪も謎ぢゃむ星人だな」
「そのジャムはやめてっ!!」

ガバッ!

「おおっ、ほんとに起きるとはな…。 さすが謎ぢゃむだ」
「あれっ、祐一…?どうして祐一が…」

どうやら混乱しているらしい。
謎ぢゃむの夢でもみてたのか?
頭の上にクエスチョンマークでも浮かべそうな様子の名雪に、ゆっくりと告げる。

「まったく、朝っぱらからあんなデカイ音出すから、俺まで起きてしまったじゃないか。
それでここに来てみれば、お前はぐっすり眠ってるし…。 仕返しに耳元で『謎ぢゃむ』と連呼してやったぞ」

本当は起こそうとしてやったんだが、そういうことにしておく。
名雪はきょとんとしている。
まだ状況を理解できていないようだ。

「しかし、本当にあれで起きるとはな…。 まだ6時だってのに」

名雪が6時に起きたことも驚きだが、それ以上に謎ぢゃむの効力にびっくりだ。

「祐一、今何時?」

とか考えていると、急に名雪が話しかけてきた。

「あ? だから、6時だって言ってるだろ。 やっぱり時間が早過ぎてまだ眠ってるのか?」

可能性としては、無いことも無いと思う。
俺が答えると、名雪の顔がみるみる明るくなっていく。

「ありがと、祐一っ」
「え? お、おう」

突然のことで、リアクションがしきれない。
どうやら、起こしてやったことに感謝されているらしい。

「あら? 名雪、起きてたの?」

突然、後ろから声が聞こえてきた。
あ…秋子さん?
…まったく気配がしなかったんですけど。
まさか、さっきからずっと居たってことは無いよな…。
秋子さんなら、気配を消すくらいは簡単にできそうな気がする。

「うんっ、祐一に起こしてもらったんだよ」

そんな俺の心配に気付かず、名雪は嬉しそうだ。

「そうなの? ありがとうね、祐一さん」

考えていることが考えていることだけに、秋子さんの言葉を素直に受け取れない。

「い、いえ、俺は別に…」

声も少し上擦ってしまう。
…早く脱出せねば。
多分心配しているようなことは無いのだろうが、なんとなくそう思った。

「じゃ、じゃあ、俺はこれで。 名雪っ、2度寝とかするなよっ」

捨て台詞っぽく言って、部屋を出る。
…はあ、なんだか寿命が縮む思いだった…。











…悪いことっていうのは、言葉にすると本当になるらしい。
どこかで聞いたような気がする。
本当になってしまった。
名雪が、2度寝した。


といっても、起きてこなかったわけじゃない。
実際、起きて弁当を作っていたようだった。
ちゃんと完成もさせたようだ。
しかし、そこで気が抜けたのか、食卓に来たとたん眠ってしまった。

…どうしようか。
今朝の苦労が思い出される。
一瞬、このまま学校に連れていこうかとも思った。
眠った名雪を学校へ運ぶ俺の勇姿を想像してみる。

…皆さん、どう思いますか。
心の中で思っているのだから皆さんも何も無いのだが、とにかく却下だ。
起こさねば。
そう決心する。

方法は――やはり、謎ぢゃむか。
秋子さんが朝食の準備をしている隙を見計らって、朝と同じことを繰り返す。

「名雪、謎ぢゃむが来るぞ〜。 早く起きないと大変なことになるぞ〜」
「…うにゅ…じゃむはぁ…すきだもぉん…」
「謎ぢゃむだぞ、謎ぢゃむ。秋子さん特製の謎ぢゃむだぞ」
「…じゃむぅ…おいしいよぉ…くー」

くっ…。
こいつ、謎ぢゃむに耐性ができやがった。
今度絶対謎ぢゃむ食わせてやる。
おいしいとか言いやがって。

「祐一さん、どうしたんですか?」
「えっ? い、いえ、これといって特には」

朝食の準備を終えて、秋子さんがやってきてしまった。
どっちにしろ、これで謎ぢゃむ作戦は使えなくなってしまったわけだ。
とりあえず、トーストをかじりながら考える。

時刻は、8時前。
まだ余裕があるとはいえ、名雪を覚醒させる時間があるかどうかは危うい。
秋子さんはといえば、「仕方ないから」とか言っていた。
まあ確かに仕方ないのではあるが、俺はそんな呑気なことは言っていられない。
とにかく、起こす方法…。



そうこうしてるうちに、朝食を食い終わってしまった。
当然、まだ名雪は夢の中だ。
時間もそろそろヤバい。
だが名雪を起こす方法が無い。

…いや、実は、俺にはひとつだけ考えがあった。
そう、謎ぢゃむ本体を使うのだ。
さすがの名雪も起きるだろう。
問題は、方法とその被害だ。
方法はなんとかなるとしても、俺の命は確実に危険にさらされるだろう。
…どうする、祐一。
時間は刻一刻と過ぎてゆく。


意を決して、俺は口を開いた。


「秋子さん、実は、お願いがあるんですけど…」
「なにかしら?」
「…前に、秋子さんのお気に入りのジャムを食べさせてくれましたよね」

気が重い。
これ以上喋るのも躊躇われる。

「ええ。 あれが、どうしたんですか?」
「あのジャム…もう一度食べさせてもらえないでしょうか?」

言った。
言ってしまった。
もう後には引けない。

「ええ、それは構わないけど…。 祐一さん、あのジャムお口に合わなかったんじゃないですか?」

ぐっ…。
こういうときに限って秋子さん、消極的だよ…。

「いえ、あの時はちょっと満腹で、良く味わえなかったですから」

良く味わえなかったですから。
自分の言葉が胸に突き刺さる。
イコール今度は良く味わいます。
…どうしよう。

「そうですか…。 わかりました。 時間が無いですけど、すぐに持ってきますね」

やっちゃった。
ええい、怯むな、俺!
自分で決めた道だ。
信じて進もうぜ。




「はい、祐一さん。 どうぞ」

ブツを目の前にして、後悔が押し寄せてくる。
やっぱり、寝ている名雪を連れていくほうが良かったかな…。
だが、一度回り始めた運命の歯車は止められない。
俺は作戦実行に移った。

「あ、そうだ。 秋子さん、名雪の作った弁当、どうなりました?」

あくまでナチュラルに。
秋子さんほどの洞察力の持ち主に通じるかどうかはわからないが、精一杯演技する。

「ええ、ちゃんとできてるわよ」
「そうですか。 じゃあ、すみませんけど、袋に包んでもらえますか?
俺、名雪に見るなって言われてるんですよ」

まずは秋子さんをここから遠ざける。
もしすでに弁当の準備が完了していたらアウトだ。

「あら、そうなの? じゃあ、やっておくわね」

そう言って、秋子さんは台所へ。
よし、第一関門クリア。
次のミッションへ。


「おい、名雪っ! 謎ぢゃむだ! 謎ぢゃむが来たぞ!」

スプーンにぢゃむを乗せ、名雪の鼻の辺りに近づける。
もちろん、秋子さんに聞こえない程度の声で喋る。

「ほら、名雪っ! 早くしないと謎ぢゃむ食う羽目になるぞ!」
俺が。

頼むっ、起きてくれ…!

「…ぅうん…」

よし、反応有りっ!
もう一息だ!

「名雪、謎ぢゃむっ! 謎ぢゃむだっ! 起きろ、早くっ!」

びくっ!
名雪の体が跳ね上がる。
そして、大きく目を開く。

「はあっ、やっと起きたぁ…」

なんとか秋子さんが戻ってくる前に勝負はついた。
今朝と同じように、名雪はきょとんとしている。

「っと、安心してる場合じゃなかったっ。 おい名雪っ、早く着替えて、鞄持って来いっ!」

さすがに寝起きでは反応が遅い。
だが、やってもらわなければ困る。

「ボーっとするな! いいから早くっ! 頼むからっ」

俺のこの後の予定では、『名雪が起きたんで、学校へ行ってきますっ』と爽やかに逃走するつもりだ。
名雪が準備できていなければ実行できない。

「わ、わかったよっ」

なんとか名雪にも通じたようだ。
急いで階段へと向かっていった。
…さて。
最後の難関だ。
なんとしても、このぢゃむを食わないようにしなければ。
名雪が来るまでには、もう少し時間がかかるだろう。
だから、俺はそれまで演技を続けなければならない。
わざわざ一緒に持ってきてくれたトーストに、ぢゃむを塗りつける。


…今、ついに究極兵器『謎トースト』が完成した。
これさえあれば、奴らに勝てる…!

「祐一さん?」
「はえっ?!」

気分を紛らわすために色々妄想していたところに、急に声をかけられる。
思わず佐祐理さんみたくなってしまった。

「どうしたんですか、ボーっとして」
「い、いえ、なんでもないです…」

ついに秋子さんが来てしまった。
名雪っ、早く来い…!

「それより、トースト、食べないんですか?」

…。
どうする、俺。
くそっ、何やってんだ、名雪は…!
もう少し、もう少しだけ時間を…!

「早く食べないと、遅刻しますよ」

…恐いよ、母さん。
アンタの妹が今、俺に死の宣告を。
…これ以上、俺はプレッシャーに耐えられなかった。

パクリ。
…食った。
口の中に広がる、ぢゃむの味。
…いや、これは味と呼べるものじゃない。
危険信号だ。
俺の口が、脳に警告を発している。
とにかく、味を感じるな。
味覚を全てシャットダウンしろ。
何も感じるな。
無心無想。

…無理でした。
何人たりとも、この味には勝てないのか。
仕方なく、飲み込んだ。
トーストを、一回も噛まずに。
だが、口の中には味が残る。
…俺は、この地獄から抜け出すことはできないのか…!

なんだか魂が半分抜けている気分のところに、廊下から足音が聞こえてきた。
名雪だ。

「…名雪…遅い…」

何やってたんだ、一体。
いや、それよりもまずは安全地帯へ。

「じゃあ、秋子さんっ、名雪来たんで、失礼しますっ!
ほら、急ぐぞ、名雪っ。 時間無いんだ」

早口でそう捲くし立て、席を立つ。
鞄を持って、玄関へと走る。

「う、うんっ。 じゃあ、いってきます〜」

後ろから名雪もついてくる。
…はずだが、確認はしていない。
今の俺は逃げることで精一杯だった。


はあ、はあ…。
家の前までやってきた。
別に長い距離を走ったわけではないのだが、精神的な疲労からだろうか、少し息が切れていた。
そのまま、名雪を待つ。
少し遅れて、名雪がやってきた。

「よし、とりあえず走るぞ」

遅刻くらい、謎ぢゃむの恐怖に比べたらたいしたことはないのだが、これで遅刻したら本末転倒だ。
俺は何の為にアレを食ったのか。
2人そろって駆け出した。










「ねえ、祐一。 どうしてあのジャム食べてたの?」

走りながら名雪が聞いてくる。
さすがに走り慣れてるのか、このペースでも喋る余裕があるらしい。

「…それは聞かないでくれ」
「えー、気になるよ」

しつこく食い下がってくる。

「…とりあえず、名雪のせいだとだけ言っておく」
「わたしのせい?」
「お前が寝るから悪いんだ。 それ以上聞くと謎ぢゃむ食わせるぞ」
「それは絶対に嫌」

名雪がきっぱりと言う。
いつにない迫力だ。
ところが、すぐにその調子も変わる。

「そういえば、わたし朝ご飯食べてないよ〜」

…こっちは余計なモノまで食わされたが。
とにかく、名雪は空腹らしい。

「自業自得だろ」

ところで、周りの人間にも危害が及んだ場合、何と言うのだろうか。

「うーん…そうだね。お弁当作ってたんだから、仕方ないよね。
そのかわり、お弁当いっぱい食べるよ〜」
「好きなだけ食ってくれ」
「祐一の分、無くなっちゃうかも」
「なんだ、俺の弁当まで食う気か?」
「ううん、違うよ」

それは、どういう意味だろう。

「…まあいいや。 喋ってないで、もっと急ぐぞ。 このままじゃ危ない」

もう少しで学校だが、時間もあまり無いだろう。

「うん。 今日こそは遅刻しないよ」

名雪もペースを上げる。
このペースなら、なんとか間に合いそうだ。







「…セーフッ!」
「間に合ったよっ」

時刻はギリギリ35分。
まだ石橋は来てないようだ。

「嘘…」
「あの水瀬が…」

俺たちの席の傍で、香里と北川が驚愕している。
…アイツら、わざとやってるんじゃないか?
そう思えるような様子だ。
というか、クラス全体の雰囲気がそんな感じだった。
…まあ、予想していなかった事態ではないが。

「うーん、やっぱり遅刻すると思われてたみたいだな」

半ば呆れて言いながら、自分の席まで歩いていった。

「名雪…。 あなた、よく起きれたわね」

開口一番、香里がそんなことを言う。
…ホントに友達か?
いや、名雪のことを良く知っているからこその言葉だろうか。

「わたしだって、やるときはちゃんとやるよ」

…自分で言ってるのだから、そのつもりなんだろう。

「それはそうかもしれないけど、寝ることに関しては別でしょ。 どうやって起きたのよ?」

香里、良くわかってるじゃないか。
そう感心していると、

「うん、祐一に起こしてもらったんだよ」

…またこいつは、余計なことを言う。

「へえ…。 相沢君、どんな手を使って起こしたのかしら? この眠り姫を」

ほれ見ろ、香里がからかい始めた。

「…知りたいか?」
「ええ、是非聞きたいわね」

だから俺は言ってやった。

「…あのぢゃむを使った」
「………そう」

案の定、それ以上追求してくることは無かった。











「祐一、お昼だよっ」
「ああ、そうだな」
「今日は、お弁当だよっ」
「ああ、そうだな」
「どこで食べようか?」
「ああ、そうだな」
「ここでいいよね?」
「ああ、そうだな…って、ここ教室だぞ? ここで食う気か?」

流れのまま会話をしていると、名雪がとんでもないことを言い出す。

「うん。 だって、お腹ぺこぺこだもん」

ぺこぺこだもんと言われても、こんな人の多い所で食うつもりは無い。
何を言われるか、わかったものじゃないからな。
相変わらず、名雪には世間の一般常識というか、そういうものが欠如しているようだ。

「…どこか別の場所にしないか?」

とりあえずそう提案してみる。

「どうして?」
「いや、ほら…。 周りの視線とか、気にならないか?」
「別にそんなことないよ。 いいから、早く食べようよー」
「いや、だから…」

名雪の奴、本気で何も考えてないのか?
どうやって説得しようかと考えていると、

「大丈夫よ、相沢君」

突然、香里が話しかけてきた。

「…何が」

なんとなく嫌な予感がして、つい低い声になる。

「だって、みんな知ってるもの。 あなたたち2人のことは。
…じゃ、あたし学食だから」

嫌な予感的中。

「それじゃあ、オレも行ってくるか。 相沢、頑張れよ」

何を頑張れと。
北川もそんな言葉を残して去っていった。

「祐一、わたしたちも食べよっ、早く」

…2人の後押しもあって、俺の立場は不利になる。

「ああもう、わかったよ。 食うよ、ここで」

見ると、朝食を食べてない名雪はかなり辛そうだ。
俺が折れるしかなかった。
名雪、折れそうにないし。

「うん。 じゃあ、机くっつけるよ」

そう言って、机と椅子を引きずってくる。
…やっぱり、凄く恥ずかしいぞ。

「はい、お弁当」

名雪が、鞄から弁当箱を取り出す。
ひとつ。

「おう」
「…」
「…」
「…」
「…あの、名雪?」
「どうしたの?」
「俺の分は?」
「これだよ」

これというのは、目の前の弁当のことだ。

「名雪の分は?」
「これ」

これというのは、目の前の弁当のことだ。
なにかがおかしい。

「もう一度聞くぞ。 俺の分は?」
「だから、これだよ」

これというのは、目の前の弁当のことだ。
…なんだか、もの凄く嫌な予感がするのだが。

「…そうか。 名雪は学食か」

淡い希望に託す。

「違うよ〜、わたしもお弁当だよ」

希望は見事打ち砕かれてしまった。
だが、まだ諦めない。

「俺の目には、1つの弁当箱しか移っていないのだが」
「だって1つしかないもん」

俺の目は正常らしい。

「…つまり、2人で同じ弁当を食え、と」

ついに、最悪の事態を口にする。

「うん、そうだよ」
「…マジか」

思わず頭を抱え込む。
教室で食うことですら恥ずかしいのに、2人で同じ弁当を食うとは。
やっぱり、どんな手を使っても違う場所に移るべきだった。

「…どうして同じ弁当箱なんだよ」

せめて、理由だけでも聞いておきたい。

「家にちょうど2人分くらいのお弁当箱があったからだよ」
「それだけか?」
「あと、こっちの方がかさばらないし」
「…俺は名雪を甘く見すぎていたようだな」

そうだ、名雪はこういう奴だった。
…想像以上だけど。

「…はぁっ、もういい、吹っ切れた。 何があっても驚かないぞ」

全てを受け入れた俺は、無敵なはずだ。

「とにかく、早く食べようよ」

名雪は相当腹が減っているらしい。
嬉しそうに弁当箱を開く。

「へえ」

中身はちゃんとした弁当だった。
これで『ゆういちらぶ』とか書かれてたらどうしようかと思った。
さすがの名雪もそこまでしないか。
そんなことを考えていると、名雪の動きが気になった。
なんだか、探し物をしているようなんだが。
何か必要なものでもあるのか?
と、名雪の動きが止まる。

「…ゴメン、祐一。 お箸、1膳しか持ってきてないよ…」
「…え?」

予想外の言葉に、時間が止まった。

「でも、いいよね。 2人で交互に使えばいいよ」
「………はい?」

名雪が何を言っているのか、私にはわかりません。

「ちょっと恥ずかしいけど…。 祐一だから、別にいいよね」
「…」

同じ箸を、2人で。
そうすると、どうなるのでしょうか?
俺の思考回路はすでにいっぱいいっぱい。
さらに名雪がとんでもないことを言い出した。

「ねっ、祐一。 あーん、して」
「なッ…?」

何を言い出すんだ、こいつはっ?!
俺の顔の温度が上昇していく。
今の俺の顔は、だれが見ても真っ赤だろう。
さっき吹っ切れたはずの俺だが、こんな事態には対応していない。
そんな俺に、名雪はおかずを差し出してくる。

「ほら、祐一、早く食べて。 わたしだって食べたいんだから…」

ちょっと切ない声でそんなことを言われたら。

「くっ…。 わ、わかったよ…」

何より、早くこの状況を抜け出したかった。
目を閉じて、口を開く。

「はい、あーん」

パクッ。
お決まりの掛け声と共に、おかずが口の中に入ってくる。

「どう、祐一。おいしい?」
「ああ…。 美味い…かもしれない」

そうは言ったが、実際は味なんてほとんどわからなかった。

「なあ、名雪。 ちょっとこれは…恥ずかし過ぎるぞ」
「うー…。 だって、やってみたかったんだもん」

だからって、こんな人前で…。
とか思っていると、名雪も食べ始めた。

「うわ、本当に使いやがった…」

なんか、感覚がおかしくなりそうだ。
普通、こんなことするか?

「ほら、祐一ももっと食べて」

またあんな恥ずかしい目に遭わせようというのか。

「勘弁してくれ…。 これなら素手で食ったほうがマシだ…」

正直な感想だ。

「それはお行儀が悪いよ…」
「ああもう、どうにでもなれっ!」

パクッ。
今度こそ完全に吹っ切れた。

「これはどう?」
「美味い…ような気がする」

やっぱり味はわからなかった。
名雪は再び食べようとしたが、こっちを振り返って。

「と、そうだ。 祐一もわたしに食べさせてよ」

…予測不可能。
今の名雪には、その言葉がぴったりだ。
吹っ切れた意味は何も無かった。
名雪は、さらにその上をいく。

「…本気で言ってるのか?」
「もちろんだよ。 はい、お箸」

確認するまでもなかった。
名雪から箸を手渡される。

「…まさか、こんなことになるとはな…」

激しく後悔する。
今すぐ逃げ出したい気分だった。

「祐一、早くっ。 お腹空いてるんだから」
「…何がいいんだ?」

仕方なく、リクエストを聞く。

「うーんとね…。 じゃあ、タコさんウィンナー」

ちゃんと調理してあるらしいウィンナーを、箸でつまむ。

「…ほら」

パクッ。
俺はあんな恥ずかしい掛け声はしない。

「うん、おいしいよ」

はあ…もういいや。
なんかどうでも良くなってきた。
冷静になって辺りを見まわしてみると、
クラスの3分の2くらいの注目を浴びていることに気付く。

「…俺、もう明日から学校来れないわ」
「登校拒否は良くないよ。 はい、今度は私の番」

名雪は気にした様子もない。
…ここまでくると、もう感心するしかなかった。

「えっと、次は何がいい?」
「…別になんでもいいよ」
「じゃあ、ご飯だよ。 そぼろ落ちるから、口おっきく開けてね。 はい、あーん」
「…その掛け声はやめてくれ…」

弁当箱が空になるまで、そんなやりとりを続けた。













「…それでね、お箸が無くて大変だったんだよ」

夕食。
名雪は、秋子さんに今日の出来事を話していた。

「あらあら。 それじゃ、どうしたの?」
「うん。 仕方ないから、2人で同じお箸を使ったよ」
「…わざわざ言わなくてもいいのに」

…思い出したら、恥ずかしくなってきた。
あのあと、食事を終えた香里がやってきて『あんた達、何やってんの…』と言っていた。
それはこっちが聞きたいくらいだ。
俺は一体、何をやっていたのだろうか。

「うーん…。 でも、楽しかったからいいよね」
「そう。 良かったわね」
「はぁ…。 せめて誰もいない所でやってほしかったよ、あれは」

ポツリと、呟く。
独り言のつもりだった。

「じゃあ祐一、今度2人でどこかに出掛けようか?」

名雪にも聞こえていたらしく、そんなことを言い出す。

「どうしてそうなるっ?」
「だって祐一、誰もいないところがいいって…」

…名雪らしい解釈だった。

「…いや、それはあくまでアレをやるならの話で…。
あんな恥ずかしいこと、2度とゴメンだ」
「うー、残念」

名雪は本気で残念がっているように見えた。
…せっかく弁当作ってもらったのに、ちょっと言い過ぎたか。

「…でもまあ、弁当作ってくれるのは、悪い気はしないけどな」

とりあえずフォローしとく。
言ってから気付いたが、弁当作るって言い出したの、名雪なんだった…。
俺は、言わば被害者かもしれない。

「祐一…ありがと」

…。

「あ、ああ。
…それにしても、どうして箸1膳しか入ってなかったんだろうな」

話題を変える。
さっきの名雪の顔が可愛くて、気恥ずかしくなったからとは言えない。

「うーん…。 よく考えたら、わたしお弁当作ったところまでしか記憶に無いよ」
「お前、寝てたからな。 …って、じゃあ、誰が箸入れたんだ?」

名雪が入れてないなら、1膳も入っていたはずが無い。
あと、可能性があるのは…。

「ね、お箸入れたの、お母さん?」
「ええ、そうだけど」

…やっぱり。
でも、秋子さん、さっき名雪の話を聞いてたとき…。

「…あの、秋子さん」
「そう言えば祐一さん」
「は、はいっ?」

確認しようとして声をかけたが、その本人に遮られる。

「あのジャム、気に入ってくれたみたいですね」
「…はい?」

唐突にそんなことを言われる。

「今朝、どうしても食べたいって言ってたじゃないですか」

…嫌なことが思い出される。

「いえ、あれは、その…」
「明日から、朝食のときに用意しておきますね」
「…マジですか」
「はい」
「…なゆきぃ〜…」

元はといえば名雪が悪いはずだ。
それなのに、どうして俺が。
考えると、涙が出てくる。

「名雪が弁当作るなんて言い出すから…」

名雪は、ちょっと納得したような顔をしたが、

「…それは、祐一が悪いと思うよ…」
「…人の気も知らないで…」

いや、確かに謎ぢゃむを使った俺が悪いのかもしれない。
…本当にそうか?
なんだか俺1人が被害を受けたような気がするな…。



それからしばらく、朝食に謎ぢゃむを食べさせられたことをここに記しておく。
…本気で身体構造がおかしくなるんじゃないかと心配したりした。



- Fin -



update:03/04/20
last update:'07/08/21 06:42:43
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