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真夜中の月

written by 剛久




森の中。闇に溶け込むかのように、ひっそりと息を潜める。

――あの汚らわしい吸血鬼。
シエルは心の中で毒づく。しかし、心に巣食う恐怖を消すことは出来なかった。
まともに戦っても、恐らく勝ち目は無いだろう。以前のシエルなら、その不死身という体質を盾に真っ向勝負を挑むことも出来た。
しかし今は慎重にならざるを得ない。
あれだけ嫌がっていた呪われた体質が今は惜しい。そんな皮肉に、シエルは笑おうとして、しかし僅かに顔を歪めるだけに終わった。

元々、戦闘をするつもりはなかったのだ。迂闊だった。武器の準備を怠ったのが悔まれる。
手持ちの武器は、黒鍵が六本。たったこれだけで、自分は一体どうしようというのか。自問するが答えは返ってこない。
だがしかし、それでも闘いは回避出来ないところまできてしまった。あの吸血鬼はまず自分を追ってくるだろう。
逃げ切れれば良いのだが、そう簡単にさせてくれるとは思えない。

しかし、ずっと隠れ続けるわけにもいかない。この場所もすぐにバレてしまうだろう。
今はお互いに居場所はわかっていないが、先に確認出来なければ圧倒的に不利になる。
視覚、聴覚、果ては第六感と呼ばれる感覚まで使い、辺りを探索する。

遅かった。

「シエル、見っけ」

敢えて声を掛けたのは余裕だろうか。後方からその声は聞こえた。シエルが一瞬だけ固まる。
アルクェイドは、既にすぐ近くまで来ていたのだ。音の発生源から、恐らく背後、木の枝の上に居る。
しかし、シエルは瞬時に思考を切り替えた。

チャンス――

振り返る遠心力をも利用し、手にした黒鍵を投擲する。おそよ常人の目では捉えられない速度で、真っ直ぐアルクェイドへ向かっていく。
音も無くアルクェイドは跳び上がる。中空に浮かぶその姿は、まるで月がふたつになったかのように映った。
シエルの口元が、僅かに歪む。

たとえどんな物体であれ、一度宙に浮かんでしまえば、外力が無い限りあとは物理法則に従って投射運動を続けるしかない。
多少の誤差はあるにせよ、初速が決まれば通る軌道も決まるのだ。
残りの黒鍵を、その軌道上に、絶妙なタイミングで放つ。人知を超えた化け物でも無い限り、命中は必至だった。

しかし、シエルはひとつだけ見落としていた。
彼女が対峙する純白の吸血鬼は、人知を超えた化け物だった。
アルクェイドは、空中で跳ねた。

急に速さが変わり、黒鍵に当たる筈だったアルクェイドの体は、今や真っ直ぐにシエルへと向かっていた。
あまりの出来事に一瞬我を失う。しかし体だけは反応し、捻るようにして直撃を回避した。

既に勝敗は決していた。
シエルの意識はそこで途切れた。










一度外へ出た志貴は、再び屋敷の中に戻って来ていた。
二階の廊下まで来る。壁に背を預け、荒い息を吐く。あまりの緊張に、今まで呼吸をしていなかったかのように思えた。
目を瞑り、呼吸を整えるのに専念する。

多少呼吸も落ち着き、何気なく辺りを見回す。月明かりに照らされた床に、不吉な死の線が見えた。
軽い頭痛がして志貴は顔を歪める。顔に手をやると、いつもしている筈の眼鏡が無いことに気付く。
そして思い出す。眼鏡は自分の部屋にある筈だ。目が覚めた後につけた記憶は無い。
同時に、手に持ったナイフに気付く。どうして眼鏡は忘れたのに、ナイフは持っているのだろう? 考えると、答えはすぐに浮かんだ。
部屋を出る際、シエルに手渡されたのだ。
兎も角、まずはこの脳への負担を抑えよう。そう思い、志貴は眼を閉じた。

さっきよりは、大分冷静になった。状況の把握に努めようとして、記憶を掘り起こす。
確かに、目が覚めると――恐らく起こされたのだろうが、志貴の部屋にはシエルが居た。
寝起きだったので、そのときの様子はよく憶えていない。ただ鮮明なのは、その直後アルクェイドが乱入してきて、シエルに逃げるように指示されたことだけだ。
そうして今、志貴はここに居る。

一体どうして、こんなことに。

わけがわからなかった。未だ混乱する頭を整理しようとして、
しかしそれは不可能だった。

「志貴」

心臓が凍りつく。息が苦しい。体がまるで動かない。
甘かった。現場に戻ってくる犯人は居ないだろう、そんな心理を利用したつもりだったのだが、アルクェイドには通用しなかった。

アルクェイドは、ゆっくりと志貴へと向かう。コツ、コツと。一定のリズムをもって床を鳴らすその足音だけが、辺りに響く。

アルクェイド――
声を上げようとして失敗した。口だけが動き、音は出ない。なおも彼女は近付いてくる。
アルクェイドの眼が見えた。
ドクン、と心臓が跳ねる。今までサボっていた遅れを取り戻すかのように思えた。

志貴の体が動こうとした瞬間、アルクェイドは一気に間合いを詰めた。その速度を利用し、さらに加速させ腕を振る。
辛うじて反応し、志貴は真後ろに跳んだ。彼女の腕は宙を切った。
勢い余って、指が壁にめり込み、破壊する。
その破片が床に当たり、音を立てる。既にふたりの距離は二メートル程になっていた。
アルクェイドは一歩でその距離をゼロにすると、真っ直ぐに志貴を突いた。しかし志貴は体を捻り攻撃を回避する。

ヤらなければ、ヤられる。

本能がそう察知した。
志貴は手にしたナイフを振るう。
一閃。
二閃。
三閃。同時に跳躍。

志貴の理性が、数少ない死線の中から手と足にあるモノを選んだ。致命傷になるのは流石に困る。
しかしそれは全くの杞憂に終わった。かすりすらしなかった。

跳んだ勢いで、近くの窓から飛び出す。ガラスの破片など気にしている場合では無い。
空中で反転。バランスを取る。五メートルの高さから両手両足で着地する。同時に全身のバネを使い、弾けるように駆け出した。

暗闇の中を、全力で走る。アルクェイドから逃げ切れるとは到底思えなかったが、それでも走るしかなった。
取り敢えず屋敷から出て、町へ向かおう。人は少ないかもしれないが、その中に紛れこんで、そして
志貴の体が跳ねた。

一瞬の浮遊感。刹那、全身に衝撃。何が起こったのかわからない。しかし、少なくとも手足がまったく動かないことと、
原因がアルクェイドにあることだけは理解できた。
眼を開ける。純白の吸血鬼がそこに居た。

「やっと捕まえた。最初からこうすれば良かったな」

口調こそ穏やかであるが、内心はまったく別であることを志貴は悟った。でなければこの仕打ちは無い。

「く……アルクェイド、一体……どういうことだよ」

なんとか声を振り絞る。志貴はこの状況をおぼろげながら把握はしていた。しかし未だ原因がわからない。
アルクェイドが訝しげな眼を向ける。

「それはこっちの台詞。さあ志貴、説明してもらおうかしら」
「待ちなさい……っ」

志貴に歩み寄るアルクェイドを、声が制止させる。振り向くと、そこにはシエルの姿があった。

「あれ、もう起きたの? 思ったよりタフね。一晩くらいぐっすりだと思ってたのに」
「この吸血鬼……。遠野くんから離れなさいっ」

威勢は良いが、しかし体はそうでないことは見てもわかった。アルクェイドは肩を竦めると、シエルへと歩み寄ろうとした。

「やっぱり気絶くらいじゃ駄目みたいね。さっきは手加減してあげたけど、今度はわからないわよ」
「く……っ」

ふいにアルクェイドは歩みを止めた。身構えるシエルに話しかける。

「――そうね。シエルにも聞いておこうか。どうして、志貴の部屋に居たのかな? それも真夜中に」
「決まってるじゃないですか。こんなアーパー吸血鬼から遠野くんを救い出すためです」

――ん?
話を聞いていた志貴は、少しずつ、真実が見えていくのを感じた。
まるで、失われていたパズルのピースがはまっていくように。しかしそれは、志貴の嫌な予感を映し出す。

「そういう貴女こそ、どうして遠野くんの部屋に来るんですか。こんな真夜中に」
「えー、いつものことよ? 志貴公認だしー」
「ちょ――本当ですか遠野くんっ!」

ふたりが志貴を睨む。体が動かないので、志貴はそれを避ける術を持たない。尤も、動いても何ら変わりはないような気もした。
背中に嫌な汗が伝う。

「いや、別に公認ってわけじゃ」

ないが、しかし黙認しているのは確かだった。夜な夜な忍び込むアルクェイドに辟易してはいたものの、
どうしてもそれを拒否できない自分がいた。

「何よ、私が行ったらあんなに嬉しそうにしてるくせに」
「と、ととと遠野くん、本当ですかそれは――」
「いいやいや、違う……気も、する、けれども。っていうかシエル先輩救い出すって何」
「で、ですから、こんな吸血鬼に付きまとわれてる遠野くんを助けてあげようと」

つまり。事の発端は貴女ですかシエル先輩。
志貴は思うが、しかし口が裂けても言えなかった。後が怖い。

「でも志貴が喜んでるんならいーじゃない。シエルこそ志貴に付きまとわないでよ」
「な、なんですって!」
「志貴と私はそーしそーあいなんだから。シエル帰れー」
「な、な――」

ああ。
どうしてこんなことになるんだろうか。いつもいつも。
志貴は空を見上げた。真夜中の月が三人を照らしていた。

「こ、こうなったら――遠野くん、貴方を殺して私も死にます」
「ど、どうしてそんな結論に!?」
「貴方はもう完全に魅了されてしまったようです。最早術はありません。死んで私とひとつになって下さい」
「ふんだ、そんなことさせないわよ。志貴は私のモノなんだから」
「あああ、お願いもう助けて――」


これは今後も繰り返される、
志貴の受難の、ほんの一ページ。



- Fin -



update:03/04/20
last update:'07/08/21 06:42:44
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