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空を見上げた。
これ以上ない、とまではいかなくても、それでも十分に晴れだと言えるような天気。
今朝の天気予報を思い出す。
確か最高気温が18度、最低気温は11度、降水確率は午前午後ともに0パーセント。
ほんの数ヶ月前まで雪降る氷点下だったこともあり、数値よりも暖かく感じる。
時折吹く穏やかな風は涼しく、暖かさに慣れていない体には心地良い。

5月のこの時期。
春と夏のちょうど中間の、そんな季節。
出掛けるには丁度良い環境だな、と祐一は思った。




たんぽぽのように

written by 剛久





ドアの開く音が聞こえ、祐一は視線を戻す。
目の前の家から、ドタバタという音が聞こえてきそうな勢いで2人の少女が飛び出してくる。

「すみません祐一さん」

片手に荷物を持った栞が、祐一の前に姿を現した途端に謝罪する。

「まあ、別に遅れたって訳でもないし、気にするな」

祐一は時計を持っていなかったが、現在のだいたいの時間はわかっていた。
家を出た時間と歩いた時間からすると、恐らく午前10時半。
約束していたのは同時刻、待ち合わせの場所はこの美坂家なので、祐一の言う通り遅れたという訳ではない。

栞が謝ったのは、祐一がインターフォンを鳴らしたときにはまだ完全に出発の準備が完了していなかったからである。
その後それまで以上のスピードで支度を整え、こうして祐一の前に現れるまでに5分と掛かってはいなかった。
それでも、待ち合わせ場所が自宅ということもあって、僅かでも待たせてしまったのは申し訳ないと栞は思ったのだった。

「でもどうしたんだ? 寝坊か?」

今までの統計では、栞が待ち合わせに遅れたことは一度もなかった。
別に5分やそこらでとがめるつもりはないのだが、気にはなる。

栞は軽く苦笑いを浮かべ、

「はい、実は」
「香里もか?」

2人一緒に出掛けるのに、栞だけ寝坊するというのもおかしい気がした。
栞の後にドアから出てきて、鍵を掛けていた香里が、ドアノブを回して確認してから振り返る。

「あたしは、ちゃんと起きてたわよ」
「じゃあ、起こしてやれば良かったのに」
「ええ、起こしたわよ。けど、」

そこで一度言葉に詰まり、

「でも、全然起きないから」
「そんなぐっすり寝てたのか」
「えぅ。ちゃんと目覚ましかけたつもりだったんですけど、」

照れたような笑顔。

「不思議ですよねー。セットした筈の時計が、何故か完全にスイッチ切られてて、私の腕の中にあったんですから」
「そうだな不思議だな」
「あはは」

苦笑を浮かべる栞の頭に軽く手を乗せ、祐一は呆れ半分で微笑んだ。

「さて、いつまでも話してても仕方ないしな。出発すっか」
「そうですね、行きましょう」

にこりと微笑み手を掲げ、栞はガッツポーズを取る。
祐一の視線が、あげられていないほうの手に止まる。
弁当やらなにやらが入っているであろう袋を持っている。

「栞、それ持とうか」
「え、でも」

今日の持ち物で考えうるものは、弁当(水筒含む)と、あと強いて挙げるのなら敷物くらいである。
つまりは、その袋の大部分は弁当なのだ。
初めて作ったあのときほどではないにしろ、それは見た目かなり大きかった。
中身がびっしり詰まっているのなら、重さもかなりのものになるだろう。

「えと、良いんですか?」
「悪いことがあるか。重いだろ」

栞の手から、半ば強引に受け取る。

「にしても、これ弁当だろ? 3人分にしては多くないか?」
「そうでもないですよ。祐一さん、前はこれくらい食べられましたよね」
「いやアレはアレでもう限界だったんだが」

祐一の記憶が甦る。
確かゴールデンウィークの4日目だった。
栞の病が治ってから、5度目のデートだった。


祐一と栞が再開を果してから、早2ヶ月が経過していた。
一度死を宣告されていたにもかかわらず、栞はそれを克服した。
ただ、祐一は回復の経緯を知らない。
聞くところによると、まさに奇跡としか言いようがない、とのことだったらしい。
本当に奇跡は起こったのか。
祐一は知らない。
気にもなる。

けれど。
栞の笑顔を見る。
けれど、今こうして栞と一緒にいられるということに比べると、それは些細なことにも思えるのだった。

「あのときは少し残っちゃいましたけど、今回はちゃんと調節しておいたので大丈夫です」
「そんなギリギリで調節しなくても」
「一生懸命作ったんですから」
「栞と香里の分は?」
「心配しなくても、祐一さんの分とは別に用意してありますので」
「――そうか」

前回の様子を思い出す。
確かに、栞の料理は悪くはない。
それどころか、かなり上手い部類に入るのではと祐一は思っている。
少なくとも、絵よりもずっと才能があるだろう。
そしてそのうえ『栞が作ってくれた』という調味料も加わって、ついつい限界まで食べてしまうのだ。
食べ残すと、ちょっと悲しそうな顔するし。
祐一は甘いかなあと自嘲しつつも、しかし改めようとは思わなかった。

「じゃ、今度こそ出発するか。忘れ物ないよな」
「それだけですからね」

栞が袋を指差して答える。
祐一が香里にも目を向けると、うなずいて答える。


目的地は、あの噴水のある公園である。

栞が回復してから2ヶ月余り。
その間、祐一と栞は何度か一緒に出掛けることがあった。
登下校を共にすることは当然の如くで、それ以外の、主に休日などに行う、一般にデートと呼称されるものが、である。
もっとも、彼らにとっては登下校すらデートなのかもしれないが。

とにかく、栞は祐一と、ふたりきりで出掛けることはあったのだ。
しかしそのため、代わりに香里と一緒に出掛ける時間が取れなくなっていた。
もちろん家では一緒にいられる。
が、栞としては折角以前よりも自由に外出できるようになったのだから、やはり一緒に出掛けたいとも思うのだった。

それでどうしたのかというと、今回の通りである。
つまり、3人で出掛けることになったのだ。
元々、栞はこの3人で出掛けたいとは思っていたというのもある。
恋人として、姉として、大好きな2人と。

目的地をあの公園に定めたのには、さして深い理由があったという訳ではなかった。
あの公園は、冬でこそ人気はなかったが、暖かくなると家族連れやカップルなどが割と訪れる。
『噴水は見てると余計に寒くなる』との祐一の言の通り、やはり同じ見るなら暖かいときのほうが良い。
栞香里も、小さい頃幾度か遊びに来たことがあった。
家からは割と近くにあるのだが、しかし子供の足ではやや遠く、それゆえ『幾度か』なのであった。
もっと近くに位置していれば、その頻度は増していたであろう。
それくらい気に入っていた。
その頃の思い出がある。
その程度の理由であった。


並木道を、3人並んで歩く。
その歩調は、普段よりずっとゆっくり。
歩くことすらも、それは今日この外出の、大切な要素のひとつなのである。

公園に行くのは良いとしても、もちろん当時のように走り回って遊ぶという訳にはいかない。
行って、弁当を食べる。
結局、目的はそれだけとなった。
ただ、それは栞の望むところであったし、何より根底は『3人で出掛けること』であったので、その辺りは特に問題ではなかった。

ゆっくりと歩いて行く。
3人で共有できる大切な時間を、より感じられるように。

「祐一さん、手、繋ぎましょうか」

3人の真ん中を歩く栞が、左手を祐一に差し出す。

「あー、まあ、別に良いけど、」

僅かに歩調を落とし、半歩後ろを歩いていた香里を見る。
少し迷う。
別段後ろめたいことなどはないが、だからといって敢えて見せつけるような真似をする必要はあるのか。

香里が視線に気付き、

「あたしは別に構わないけど、」
「じゃあ、お姉ちゃんも繋ご」

栞が同時に左右の手で、それぞれ別の手を握る。
そして笑顔。
残りのふたりは、どこか楽しそうな苦笑。


傍から見ればこの3人、どう映るのだろう。

「――親子?」

祐一が口の中で呟く。
もちろんキャスティングは、真ん中の栞が子供役である。






「どうしましょうか? まだお昼には早い気がしますけど」

栞のつられて、祐一は公園に設置されている時計を見上げる。
ここまで来るのに結構な時間が掛かった気もしたが、それでもまだ正午に届いていない。

祐一は「そうだなぁ」と呟き、考える仕草をする。
確かに昼にはまだ早いが、でも他にすることが思いつかない。
何か考えておけば良かったかな、と思う。

祐一が辺りを見回しながら軽く頭を捻らせていると、

「あのでも、できれば早く食べたいなぁなんて思ったりするんですけど」

栞が少しだけ恥ずかしそうに言う。

「俺は別に構わないけど。でもどうして?」
「実は、朝ご飯食べてないんですよ。時間なくて」

確かに、朝の慌て振りからすると十分考えられることである。

「んじゃ、そうするか。香里も異論はないよな?」
「ええ」

短い返事を聞いてから、祐一は再び辺りを見回した。
やがて、なだらかな坂になっている芝生に目が止まる。

「あの辺りで良いか」
「そうですね」

栞も同じところに目をつけていたので、即答する。

「あ祐一さん、その袋に敷物入ってますから」

芝生を目指しながら栞が言う。
祐一が袋の中を覗き込むが、それらしきものは見えなかった。
恐らく弁当箱の下にでも入っているのだろうと見当をつける。

芝生はそれなりに乱雑で、たんぽぽやらつくしやらが生えていた。
ここに敷物なんかを敷くとまるで小学校の遠足にでも行ったような気分にでもなるな、と祐一は思う。
栞に弁当箱を持ってもらい、袋の中から敷物とおぼしきものを取り出してみる。

「ふむ」

とりあえず開いてみて、祐一はそんな声を上げた。
動物のプリントが随所に施された、ピンクの敷物。
まんま小学校低学年女子の遠足だった。

「すみません、それしかなかったんです」

ピンクの敷物を両手に広げ仁王立ちで固まる祐一に、栞はとりあえずフォローを入れてみる。

「あでも大丈夫です。大きさは十分にありますから」
「ま、いいか」

僅かな羞恥心をためいきと共に吐き出し、祐一は敷物を芝生に敷いた。

3人で弁当箱を囲む。
栞が作ったその弁当は、いくつかの別な箱に分けられていた。
その内のひとつを手に取り、祐一に手渡す。

「はい、まずはこれが祐一さん専用です」

言い回しが多少気にはなったが、しかし祐一は構わず開けてみる。
中身は普通の弁当だった。
真ん中よりややずれてふたつに区切られており、その片方にはご飯が、もう片方にはおかずが入っている。
コロッケや卵焼き、から揚げなどのラインナップ。
ご飯のほうは周りに茶と黄色、中心がピンクのそぼろで彩られている。

「美味そうだな。でも、俺専用って?」

感想と疑問が自然に出た。
栞は僅かに頬を緩ませ、3色のご飯を指差し、

「ほらこれですよ」
「これって」

特に変哲のない、美味しそうなそぼろかけご飯。
ただ少し想像力を働かせてみると、中心のピンクのそぼろは何か幾何学的な模様を表現しているような気がしなくもない。

「はーとまーく、なんかにしちゃったりしてみました」
「うん。まあ味には関係ないしな」

反射的にそんな声が出た。
栞はむー、と顔を膨らませ、

「なんですかそれ」
「いやまあ、美的センスってこんなところにも出るんだなぁって」
「酷いです祐一さん」

さらに膨らんだ栞に苦笑し、それでも祐一は嬉しかった。

「箸あるか?」
「あ、はい」

栞から箸を受け取り、さっそく食べ始める。
ピンクのそぼろに箸を突き立て口へと運ぶ。
ハートに見えないハートマークは、それでも美味しかった。

祐一が食べ始めたのを見て、栞が次の弁当箱を取り出す。
中身は祐一が食べているのと同じく、おかずとご飯が分けられていた。
おかずの種類は、祐一のとはまた異なっている。

「はいお姉ちゃん、どうぞ」

箸を香里に手渡し、自らも箸を取った。

「あれ、これ2人分?」
「うん。まだ別にあるから」

栞が持ってきた弁当箱は、今使われている2つの他に、まだあとふたつあった。
残りの箱を一瞥し、栞は卵焼きをひとつ口へ放り込む。
祐一の弁当箱に入っているのは塩で、こちらは砂糖でそれぞれ味付けしたものである。

「じゃあ、あたしも食べるわよ」
「え、うん」

香里も卵焼きに箸を伸ばす。
そして今まで自分の弁当に集中していた祐一が、ふたつの弁当箱でおかずが違うことに気付いた。

「しかし、また色々と作ったもんだな」
「祐一さん、このエビフライ食べます? そっち入ってないですよね」
「ん、じゃ貰おうかな」

祐一が箸を伸ばし、しかし栞の箸が先にエビフライを掴む。

「はい祐一さん、あーん」

祐一の箸が止まる。
今までも何度かやられたことはあったのだが、未だ慣れない祐一であった。

「……あーん」
「はい」

目を瞑っていたので見えなかったが、口の中の感触で確認し、咀嚼する。
やはり恥ずかしい。
多分顔が赤くなっているだろうなと祐一は自覚する。

「祐一さん、代わりにそのコロッケくれませんか?」
「ああ、どうぞ」

持っていた弁当箱を差し出す。
しかし、というか当然というか、栞は動こうとはしない。
祐一も栞の意図に気付く。

「もしかして、俺が食べさせろってか」
「そのほうが楽しいじゃないですか」

言って、屈託のない笑顔を放つ。
その笑顔はダメだった。
確かに、吹っ切れれば楽しいのかもな、などと思うことにした。

「わかったよ。ほら」
「あーん」

口を開けていては声も出しにくいだろうに、それでも栞はその掛け声を使う。

「じゃあ次は、」

口の中のものを飲み下してから、今度は香里に視線を向ける。
見ていた祐一も香里もまさかとは思ったが、やはりまさかを栞は実行しようとしていた。

「お姉ちゃん、はい、あーん」
「なんで?」

香里の口から純粋な疑問が漏れ出る。
栞は笑顔で、純粋に答える。

「楽しいから」

香里は一瞬面食らったような表情を見せ、すぐに苦笑のそれに変える。

「じゃあ、そのハンバーグもらおうかしら」
「うんっ。はい、あーん」
「あーん」

祐一と同様に恥ずかしそうに声を出す。
対する栞は本当に楽しそうである。



「栞、そっちのは何が入ってるんだ?」

未だ開封されていない弁当箱はあとふたつ。
まだそんなにあるのかと思いつつ祐一は訊ねた。

「あ、えとですね。こっちが果物で、こっちが特製おにぎりです」

特製おにぎり――ちからが増えたりHPが回復したりするのだろうか。
栞の説明を聞き、祐一はそんなことを思う。

「食べましょうか、おにぎり」
「ん、ああ」

栞が開けた弁当箱から、計8つのおにぎりが姿を現す。
そのひとつひとつは、男である祐一の拳より4まわりくらい大きかった。

量に関しては既に覚悟済みであるので、それほどショックはない。
ただ気になるのは、そのうちの半数の中から黒っぽい何かがはみ出てている、ということである。
海苔は巻かれていない。
その分、白いご飯とその黒っぽいモノとのコントラストが妙な雰囲気を醸し出している。

「栞。コレ、中身なんだ?」

栞はにこりと微笑み、

「こっち側の半分があんこで、もう半分はチョコレートです」
「待て」

およそおにぎりの具とはかけ離れた名称が祐一の耳に届く。
なるほど特製おにぎりね、と祐一はどこか納得する。

「つーかこれチョコレートなのか。はみ出てるやつ」
「流石に、溶けちゃいましたけどね」

ネタとしてはこれだけで十分な破壊力である。
しかしコレらは現在、弁当の一種としてここに存在するのだ。
つまり、腹に収めなければいけない、ということだ。

「ちなみに、味見は?」
「まだです」

祐一は一瞬だけ考え、そして覚悟を決めた。
食べないという選択肢が浮かんだが、栞の表情を見て消え去った。

「よし。じゃあ俺はあんこを食べるから、香里はチョコを頼む」
「えちょっと待って」

チョコレートのほうは、まず見た目がダメな気がした。
食べてみて、どうしても無理だということが判明すれば、栞も破棄を許可してくれるかもしれない。
祐一はそう判断し、リスクを最小限に留めるため、香里と手分けをし、かつまだマシなほうを選んだ。

黒っぽくないほうのおにぎりを手に取る。
見た目は普通。
食った。

「――あれ」

咀嚼する。
おにぎりには似つかわしくない甘さではある。
しかし、想像していたような不快感はない。

祐一は多少混乱する頭で考え、そして答えに達した。
おはぎである。
もち米と普通の米との差はあれど、このおにぎりの味はおはぎのそれに割と似ていた。

「どうですか?」

栞が期待を込めた目をして訊いてくる。
祐一は未だ驚きを隠せない様子で、

「ああ、別に不味くはない、……けど」

元々祐一は甘いものが余り好きではないのだ。
おはぎも然りであった。

栞は少しだけ残念そうに『そうですか』と呟き、次は香里のほうへと視線を移す。
チョコおにぎりを手にし、丁度口に含もうとしているところだった。

香里は意を決し、黒っぽいおにぎりに噛みついた。

「……甘い」

第一声はそれだった。

「栞、これちょっとチョコ入れ過ぎじゃない?」
「うーん、そうかも」
「なあ香里、甘いだけなのか、それ」

見た目にあれだけ差があったのに、同じ感想なのでは祐一はどこか不服だった。
香里は静かにおにぎりを空いた弁当箱に戻し、

「チョコレートの味しかしないのよ」
「なるほど」

祐一もおにぎりを手放す。
栞は残念そうであった。

そんなノリで、食事は続く。



弁当の量も残り少なくなってきた。
残る弁当を前に、自らの限界に挑んでいる祐一。
既に満腹で、その様子を見守っている栞と香里。

「ふぁ……………………ぁふん」

栞がそんな馬鹿でかいあくびをした。

「えう、すみません」
「眠たいのが物凄く良くわかるあくびだな」
「昨日、寝るの遅かったんです。お弁当の準備してましたかぁ……ふ」

もう一度あくびが出て、なんとか噛み殺す。
さっきまでは、その高いテンションで眠気を感じていなかった。
だが、まったりムードになるにつれ、気が抜けてきたのだ。

「そんなに眠いんだったら、少し寝たらどうだ?」
「え、でも、」
「何だったら、俺の膝を貸してやっても良いぞ」

栞は少し考えて、再びあくびが出て、

「本当ですか?」
「え」
「それでは、お言葉に甘えまして」

すすすと祐一に近付き、その膝に頭を預ける。

「よいしょ。では祐一さん、おやすみなさい……」
「あ、ああ」

膝枕は冗談だったんだけどな、と思いつつ、でもまあこれはこれで良いか、などと思う祐一であった。

「さて」

栞の僅かな重みを膝で感じながら、祐一は考える。
余程眠かったのか、横になるとすぐに栞は寝息を立て始めた。
まだいくらか残っている弁当箱を見る。
この体勢で食べ続けようとすると、栞を起こしてしまうかもしれない。
自分が勧めたのであったし、それに何より栞は本当に眠そうだった。
出来れば寝かしておいてやりたいと思う。

「香里、弁当撤収するの手伝ってくれ」

内心少しだけ『弁当残す理由ができてラッキー』と思いつつ祐一が言う。

「了解」

祐一のほうが手伝っているように見える仕事の分配率で、弁当が片付けられていく。



時計の針は、もうすぐ1時を指そうとしていた。
太陽はほぼ真上に位置し、ときどき雲に隠れながらも日差しを浴びせ掛けてくる。
近くの歩道を、キックボードに乗った少年が過ぎ去っていく。
最近あまり見かけないが、それでも使い続ける健気さが伝わってくる気がする。

静かだな、と祐一は思った。

栞は膝の上でぐっすりと眠っている。
香里の視線は、今は噴水のほうへと向けられている。

祐一もその方向を見る。
噴水のかたちなど、そうそう変わるものではない。
あの冬の日と同じ噴水が、目の前にある。
香里が見ているのはどの噴水だろう、と祐一は思う。

噴水から、香里の横顔へと視線を移す。
決心する。
一度小さく息を吸い、そして声を出す。


「『あの子、なんのために生まれてきたの』」
「え」

香里が祐一を振り返る。

「似てたか?」

口調も真似したつもりではあったが、似ていないのは祐一も自覚している。
香里が祐一を見据える。

「前に俺に言ったことあったよな。たしかこんな台詞だったと思うけど」

香里は祐一を見据えたまま。

「あれからさ、たまに考えるんだよ。あのときは俺答えられなかったけど、今ならどうかなって」
「……そんなに気にしなくても良いと思うわ。あのときは、」

言いかけて、口をつぐむ。

「でも、本音だったんだろ? それに、考えちゃうんだから仕方ない」

香里が何か言おうとしたが、やがて諦めの表情を浮かべる。

「じゃあ、聞いても良い? 相沢君の答え」

祐一が答える。

「無理、だな」
「……どういうことよ」

怪訝そうな表情を浮かべる。
祐一は意に臆さず、

「考えたけどさ。答え、出ないんだなこれが」
「……そう」

予想の範疇ではあったのだが、それでも香里は僅かに落胆する。
どこかで答えを望んでいたのかもしれない。

祐一が続ける。

「でもさ、それでも良いと思うんだよ。ほら、数学でも『解なし』が答えってのあるだろ」

中学の頃の二次方程式のテストだったか、祐一は解けなかった問題を軒並み『解なし』にしたことがあったのを思い出す。
答案が返ってきて、軽く注意されたことを憶えている。

香里の問いかけも、そうなのかもしれない。
まだ祐一が見つけられないだけで、ちゃんと解はあるのかもしれない。
哲学だとか宗教だとかに頼れば、答えは見つかるのかもしれない。
けど。
なんのために生まれてきたのか。

「理由とか目的とか、そんなのはない――いらないんじゃないのかな」

そう思うのだった。

「それが、相沢君の答え?」
「答えになってるかは疑問だが、今のところは」

一度視線を逸らし、芝生に目を向ける。
手の届く範囲にも、いくつかのたんぽぽがあった。
この時期でも、既に綿毛になっているものもある。
その白いひとつを茎からむしり取る。

「例えばさ、このたんぽぽ」

ふうと息を吹きかける。
白い綿毛が、空を舞う。
風が弱いせいか、あまり飛ばずに辺りへと広がった。

そのひとつが、栞の髪に乗った。
祐一はそれを手で払いのけ、そして栞の髪を撫でる。
栞が小さく身じろぎ、起こしてしまったかと心配したが、それきり反応はない。

「綿毛が地面に落ちて、たんぽぽが生えてきて、そのうち花が咲いて、んで綿毛になって、こうして散っていく。それでたんぽぽの一生は終わりだろ」
「たんぽぽは多年草よ。確か」

祐一が軽く咳払いをする。

「まあそうだとしても。とにかく、それだけなんだ。生えてきて、綿毛飛ばして、それだけ」

手に持ったままのたんぽぽを見つめる。

「たんぽぽって、なんのために生まれてきてるんだろうな」

たんぽぽを見つめたまま、

「まあ突き詰めれば、子孫を残すためってことになるのかもしれないけどさ。でもそれって『この』たんぽぽにとって、なんの意味があるんだろうな」
「だから、生まれてくる理由はない?」

祐一は頭を掻き、苦笑して、

「まあ俺も良くわかんないんだけどさ。そんなふうに思った訳で」

手にしたたんぽぽを放り投げる。
香里に向き直り、

「でさ。何が言いたいのかというと、どうせ意味ないんだったら、せめて楽しんだほうが良いんじゃないか、って」

自分でも、突拍子もないかな、とは思わないでもない。
けれど祐一の本心ではあったし、それに今言っておきたかった。

「香里さ。どうして自分から話しかけてこない?」
「――それは、別に、」
「あれだろ。やっぱまだ気にしてるんだろ」

何を、は言わなくても伝わったと思う。
あの冬の日、香里が栞にしてしまったこと。

「でもな、栞見てたらわかるだろ。もう気にしてない――許してるよ、多分」

香里と話すときの、栞の笑顔。
あれは本心だと祐一は思う。

「だから、気にするな――とまでは言えないけど、でもそんなに気に病むことはないと思う。
栞言ってただろ、楽しいから、って。楽しいんだよ。それで良いじゃないか。香里だってそうだろう?」
「あたしは、」
「ま、だからどうしろってことは、俺には言う資格はないと思うけどさ。でもやっぱり俺も楽しいほうが良いからな。香里のツッコミ、期待してるし」

香里が拍子抜けしたような表情を浮かべ、

「ツッコミ、ねぇ」
「まあ、トリオだと必然的に。俺も栞も、基本的にはボケだしな」

香里がくすりと笑った。
祐一も笑う。

香里がごろんと寝転がった。

「――そう、なのかしらね」

香里の内の感情が、つぶやきとなって空へ散る。






夕方になり、栞は目を覚ました。
それから辺りを少し散歩し、やがて解散となった。
今は、帰り道を行きと同じくらいゆっくりと歩いている。

「今日はすみませんでした。私ずっと寝てて」
「良いさ別に。栞の寝顔可愛かったし」
「そうですか?」

栞が照れる。
言った祐一も照れる。

「弁当も美味かったし。また作ってくれな。ただし量は控えめに」
「あはは、善処します」
「香里もさ、栞が妙な量作ろうとしてたら阻止してくれ」
「そうね、善処してみるわ」

そして、しばらく歩く。

「さて、じゃあ俺はここで」

別れ道がきて、祐一が立ち止まる。

「あ、祐一さん」
「ん?」
「えとですね」

香里のほうを振り返って、

「お姉ちゃん、先帰ってもらえないかな」
「どうしたの?」

栞は口に手を当てやや俯いて、

「恋人たちのひとときの別れの場面に立ち会うのは、ちょっと野暮なんじゃないかなー」

香里はすぐに意味を理解し、肩をすくめて見せる。

「そうね、じゃあそうするわ。あ、栞、」

降り返りかけて、

「今日は、ちゃんと帰ってくるのよね?」

栞はすぐに意味を理解し、僅かに顔を赤らめる。

「ちゃんと帰りますっ。もぅ、ヘンなこと言わないで」

「ふふ。うん、それじゃあね、相沢君」
「おう」

香里が去っていくのを2人で見送る。


「あの、祐一さん」
「え、ああ」
「――ありがとうございました」
「え?」

何に対して言っているのかわからなかった。

「今日のお昼の、お姉ちゃんのことです」

祐一はすぐに意味を理解し、しかし別の疑問が浮かぶ。

「もしかして、起きてたのか?」
「すみません。でも半分くらいは寝てたんですけどね。確かたんぽぽがどうした、とかそのあたりから聞こえていたような気がします」
「そっか」
「ていうか私、ボケですか?」
「少なくとも、ツッコミってタイプじゃないだろう」

少し膨れながらも、しかし笑顔を浮かべる。
表情を正して、

「ですから、ありがとうございました、です」

30度くらい体を曲げ、お辞儀をする。

「礼を言われるようなことじゃないけどな。あとは香里次第なんだし」
「……そう、ですね」

頷いて、そして栞は笑顔を見せる。

「それでは、私もう行きますね。急げばまだお姉ちゃんに追いつけるかもしれないですし」
「ああ、でも大丈夫か? 気を付けろよ」
「はい、平気ですよ」
「ん。それじゃあな、栞。またこんな機会あると良いな」
「ありますよ、きっと」

予想ではなく、期待でもなく、確信を持って栞は言う。
まだまだ機会はたくさんあるのだ。

「じゃあ、バイバイ、です、祐一さん」

言って、とことこと祐一へと近寄る。
そして目を閉じ、僅かに背伸びをする。
祐一はその唇に軽く口付けた。

祐一から離れ、にこりと微笑み、栞は香里が通った道へと進んだ。
途中で振り返り、大きく両手を振る。
祐一もならい、軽く片手を振る。
そして、小走りに去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、祐一も帰路へと着いた。



update:03/04/20
last update:'07/08/21 06:42:45
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